2012年10月24日

栗城史多氏が、またも、エベレスト登頂に失敗したようです(続)

2009年秋、2010年秋、2011年秋に続き、エベレスト(8,848m)に4回目の挑戦をしていた栗城史多氏ですが、今回の登山における第2回目のアタックも失敗の上、今度は両手・右足・鼻の凍傷等で歩けないため、シェルパ達によるキャンプ3.5からの救出、そして、キャンプ2からのヘリコプターによるカトマンズへの移送、その後、昨日、日本に帰国と言うことだそうです。

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すなわち、栗城氏は2012.10.17(水)の夜に7,500m地点(キャンプ3.5?)を出発したのですが、10/18(木)の朝、不明高度にて、強風のため、それ以上の登山を断念し、不明時間に7,500m地点まで戻ったそうです。しかしながら、両手指と鼻、右足の凍傷等で歩けなくなったことから、下のキャンプにいるシェルパ達を呼び寄せ、おそらく、キャンプ2(6,400m) 辺りに待機していたシェルパ達が10/19(金)13時頃に7,500m地点に到着。その後、夜通しかかって下山し、10/20(土)の6時頃にキャンプ2(6,400m)に到着。そして、10/21(日)の朝、呼び寄せたヘリコプターでカトマンズに行き、病院に入院、10/23(火)日本に帰国したそうです。

と言うことで、栗城氏の公式サイト及びその後のインターネットの情報によると、今回の登山における第2回目のアタックは以下だったようです。

10/ 9(火) ベースキャンプ(5,300m)6:00発 → キャンプ2(6,400m) 14:35着
10/13(土) キャンプ2(6,400m) 6:00発 → キャンプ3(7,200m) 15:20着
10/16(火) キャンプ3(7,200m) ??発 → キャンプ3.5(7,500m) ??着
10/17(水) キャンプ3.5(7,500m) 19:00発 →
10/18(木) (7,700m?)6:00発 → キャンプ3.5(7,500m)
10/19(金) 13:00頃シェルパ達到着。シェルパ達と下山開始(時刻不明) →
10/20(土) キャンプ2(6,400m) 6:00着
10/21(日) キャンプ2(6,400m) 朝発・ヘリコプター → カトマンズ → 病院
10/23(火) →日本

今回は天気が結構良いのアタックせずに、空気が薄い7,000m以上に4泊もした上、天気が悪化する予報にもかかわらず、暗くなってから出発、上の方で強風に遭ったことから、下山したが、7,500m地点(キャンプ3.5)でそれ以上、動けなくなったことから、シェルパ達を呼び寄せて、彼らに助けられながら下山したようです。

それにしても、栗城氏は「単独・無酸素」をうたっていますが、米国の「Outside Magazine」のオンライン版(http://www.outsideonline.com/blog/outdoor-adventure/expedition-watch-climbing-everests-west-ridge-without-supplemental-oxygen.html?174433681)には、「彼はシェルパから、アイスフォールの通過や固定ロープ設置、高所キャンプへの荷揚げといった手助けを受けており、単独ではない」旨が書かれています。また、2010年のエベレスト登山で、栗城氏と同時期にベースキャンプにいたEric Larsen氏のFacebook(http://www.facebook.com/EricLarsenExplore/posts/319500808157241 )には、キャンプ2に行く途中に栗城氏を追い抜いたが、その時、栗城氏は4、5名のシェルパを連れていた旨が書かれています。今回もキャンプ2までは8人のシェルパ達によりルートが作られ(ローツェ登山のポーランド隊がエベレストのベースキャンプにいるそうで、そのブログ「http://polski-himalaizm-zimowy.wspinanie.pl/blog/」によると、栗城氏の隊のシェルパは8名で、ポーランド隊の2名のシェルパと共に、キャンプ2までのルート工作を行ったのだそうです)、食料や燃料ガスの荷揚げは行われ、テントも設置されているのだと考えられますが、栗城氏がベースキャンプあるいはキャンプ2で長い停滞をしている時に、シェルパ達がキャンプ3までのルートの確保、テントの設置が行われたのかもしれません(シェルパ達が短時間で7,500m地点まで行き、また、そこから夜通しかかって栗城氏をキャンプ2まで下ろせたことは、ルートがきちんとできていたと考えた方が自然だと思います)。

それにしても、最近の氏はシェルパに助けられて下山と言うことが多いです。すなわち、

2005年秋 キリマンジャロ:高度障害で倒れポーターにより救助
2009年春 ダウラギリ:下山中に滑落。シェルパにより救助
2009年秋 エベレスト:シェルパにより救助
2010年春 アンナプルナ:シェルパにより2回も救助
2010年秋 エベレスト:シェルパにより救助。また、テント内で酸素ボンベ使用
2011年春 シシャパンマ:下山時にシェルパ随伴で、荷物はシェルパに
2012年春 シシャパンマ:滑落し、シェルパにより救助
2012年秋 エベレスト:両手指・鼻・右足の凍傷、シェルパにより救助。そして、ヘリタク。

と言う状況で、2009年〜2012年にかけても8回の内7回、すなわち、2011年秋のエベレストのみ、シェルパによる救助は公式には行われなかったと言う状況で、単独・無酸素を謳っていても、シェルパによる救助率は7/8=87.5%と言う高い確率でした。

それにしても、天気が悪くなる予報なのに、暗くなってから頂上に向かって出発、その上、アタックキャンプは普通の場合よりかなり下にあり、頂上に着くのは翌日の夕方近く、頂上からの下山は暗くなってからと言う無謀な計画なのに、よく出発したと思います。普通の山だって、夜間歩くのは危険なのに、ましてエベレストですから、前回のように滑落でクレバスに落下と言うような状況でなくて、凍傷で済んだと言うのは、まだ、幸運なのかもしれないと思いました。

matsumo(http://matsumo.my.coocan.jp
posted by matsumo at 16:25| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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