2012年10月08日

栗城史多氏が、またも、エベレスト登頂に失敗したようです

エベレスト(8,848m)に4回目の挑戦をしていた栗城史多氏が、またも、登頂に失敗したようです。2009年秋、2010年秋、2011年秋に続き、これで4年連続の失敗です。現地の旅行会社を使ってのカトマンズからのキャラバン、そして、ベースキャンプ生活で、自分で登ること以外は全て、旅行会社所属のシェルパ達や、また、同行の日本人達が行っていると言うのに、全く残念です。その上、「冒険の共有」をうたっていると言うのに、インターネット上に僅かしか公開されていない情報を調べると、以下のようです(今回の情報公開は今までで最も少ないと思います。ただし、年間会費5000円が必要な「Team Kuriki」に入会すれば、毎日、情報メールが来るようです)。

<出発・キャラバン>
08/26(日):日本出発
08/28(火):カトマンズ着
09/02(日):カトマンズ発→(飛行機)→ルクラ着→パクディン(2,610m)
09/03(月):パクディン→ナムチェバザール(3,440m)
09/05(水):ナムチェバザール→タンボチェ(3,880m)
09/06(木):タンボチェ→ペリチェ(4,240m)
09/09(日):ペリチェ→ゴラクシップ
09/11(火):ゴラクシップ→カルパタール(5,550m)→ゴラクシップ[高度順化]
09/12(水):ゴラクシップ→ベースキャンプ(5,300m)

121008A.jpg

<高度順化・キャンプ設置>
09/16(日):ベースキャンプよりキャンプ1を目指すが、ルート左で雪崩がありベースキャンプに戻る
09/19(水):ベースキャンプ→キャンプ1(6,000m)
09/20(木):キャンプ1→キャンプ2(6,400m)
09/22(土):キャンプ2→キャンプ3までの途中。なお,予告していたインターネット中継は中止
09/24(月):キャンプ3までの途中→キャンプ2
09/25(火):キャンプ2→ベースキャンプ
 なお、栗城氏の公式ページでは「9/16 高度順応開始 ベースキャンプ→キャンプ1→ベースキャンプ」のみしか記載されておらず、これではキヤンプ1までしか行っていないことになる
09/28(金):ベースキャンプよりインターネット中継にて人生相談
09/29(土):ベースキャンプよりインターネット中継にて人生相談

<第1回 登山>
10/02(火):ベースキャンプ→キャンプ1
10/03(水):キャンプ1→キャンプ2
10/05(金):キャンプ2→キャンプ1
10/06(土):キャンプ1→ベースキャンプ

それにしても、高度順化とキャンプ設置のために9/19(水)から9/22(土)までにベースキャンプからキャンプ1、キャンプ2、そして、キャンプ3の途中まで行き、それぞれに泊まっていたと言うことですが、ううん、テントを3つと食料は最低1週間分(9/19〜9/25)を背負って出かけたと言う訳ですね。各キャンプまでは1日で登っていますが、氏は「単独・無酸素」をうたっていますので、まさか、ベースキャンプ設置から高度順化のために登り始めるまでに、シェルパ達がフィックスロープ等を設置、キャンプ1、キャンプ2も設置したと言うことは無いと思いますが。

登頂のための10/02(火)のベースキャンプ出発も、予定を何回も変えて、ようやく出発したのですが、結局、キャンプ2にて、天気予報での天候悪化を理由に下山してしまいました、ううん、元々、無酸素・単独をうたっているのですから、キャンプ3やキャンプ4を作って、薄い空気に体を順応させなければ、とても頂上までは登れないと思うのですが。それにしても、氏の著書「一歩を越える勇気」の表題のごとく、「一歩を出す勇気」が必要なのは、栗城氏のような気がするのですが。勿論、それには氏の著書「NO LIMIT ノーリミット 自分を超える方法」の表題のように、自分を越えて、上に登る必要があると思います。また、前述のごとく、今回は「共有」をうたいながら、極めて情報が少なかったのですが、他の登山家のように、せめて、GPSを体に付けて、常にいる位置を公開する必要があると思います。

また、氏がインターネット上で公開している映像、自身を含めたアップばかり多い上、自分がいる所の景色を綺麗に写すものが少ないので、どこから撮ったのかわからないのが困りものです。

<追記1>
エベレスト登山のベースキャンプはエベレストの隣にあるローツェへの登山にも使われているようで、その登山ルートとエベレスト登山のルートは、キャンプ2までは同一のようです。現在、ローツェ登山のポーランド隊がエベレストのベースキャンプにいるようで、そのブログ(http://polski-himalaizm-zimowy.wspinanie.pl/blog/)によると、栗城氏の隊のシェルパは8名で、ポーランド隊の2名のシェルパと共に、キャンプ2までのルート工作を行ったのだそうです。

121008B.jpg

と言うことは、キャンプ2までの登山ルートは梯子やフィックスロープ等で整備され、キャンプ1及びキャンプ2にはテント、食料、燃料等がある状態で、登ったと言うことでしょうから、驚異的な速さで、キャンプ1やキャンプ2に行けたと言うことが理解できました。また、同ブログには「栗城氏はキャンプ2以降は単独」とも書かれています。

<追記2>
上記の標高に関しては、全て、栗城氏によるものです。しかしながら、ここ3年間のヒマラヤ登山の内、当初発表の最高到達点の標高は、最近の氏の公式ページで以下のように変えられております。

2010年10月:エベレスト(8,848m)登山の最高到達点:7,950m→7,550m
2012年 6月:シシャパンマ南西壁(8,027m)登山の最高到達点:6,900〜7,000m付近から滑落→6,500m付近から滑落

ううん、いずれも400mも低く修正しています。これでは、当初の標高、いくら何でもサバ読みのし過ぎではないかと思います。この分だと、公式ページ書かれている「2011年10月:エベレスト(8,848m)サウスクロワールルートの最高到達点:7,800m」と言うのも、その内に、他の方がGoogle map等から推定した「7,600m」に変更するかもしれませんね。

<追記3>
栗城氏によると、キャンプ1には氏の撮影班がいたそうですので、間違いなく、そこまではシェルパ達により登山ルートが作られ、また、テント、食料、燃料等が運ばれたものと思います。

matsumo(http://matsumo.my.coocan.jp
ラベル:エベレスト
posted by matsumo at 17:30| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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