このピアノ協奏曲第20番を、フランスのピアニストの「イヴォンヌ・ルフェビュール」が弾き、「フルトベングラー指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団」が伴奏したLPを

を再生して、録音・編集後、mp3ファイルとしたもの
第1楽章:Mozart_Piano_Concerto_No20_Lefebure_1954A01.mp3[11.9MB]
第2・3楽章:Mozart_Piano_Concerto_No20_Lefebure_1954A02.mp3[14.6MB]
を以下のURLにupしましたので、ダウンロードの上、お聴き下さい。
http://cid-f5c4b648081ce735.skydrive.live.com/browse.aspx/.Public/sound/sound-d/sound157
なお、ルフェビュールは日本ではそれほど有名なピアニストではありませんが、アルフレッド・コルトーの弟子で、かつ、ディヌ・リパッティ、サンソン・フランソワ等を教えた人です。


この20番は映画の「アマデウス」を観て、初めて知りました。自分でも弾く練習をしたものです。
この曲で聴いているのはゼルキン、グルダ、ブレンデル、カッチェン、ルプー。私が聴くピアニストは1960年代以降の録音が多いので、ずっと昔のピアニストはほとんど聴いたことがありません。いろいろと名演が多い曲だと思うんですが。
この演奏、オケがわりとドラマティックなのに、ピアノは軽やかなタッチで明るめの色調、あちこち少し崩したような洒落た弾き方に聴こえます。ピアノの音やタッチはクリアで綺麗ですが、オケの音が古めかしいので、そういう風に聴こえるのかもしれません。
両端楽章では、ベートーヴェンのカデンツァとは違うものを弾いてますね。初めて聴くカデンツァです。フンメルのカデンツァとも違うので、調べてみると、オリジナルですね。カデンツァだけが、書法が現代的というか雰囲気が違うので、個人的にはどうかなとは思いますが。
確かに、ルフェビュールの音はフルトベングラーの重い音とは異なり、軽い感じですね。私にとっては、この重さと軽さの対比がいいのかもしれません。また、カデンツアですが、こちらも、おっしゃられる通り、雰囲気が違いますね。でも、元々、カデンツアはピアニストが独自に演奏するものですので、他人の作曲したものではなく、自分の幻想で弾けばよいような気がします。
モーツアルトの音楽は、めったに聴くことはありませんが、この作品は綺麗ですね。
普段はもっとドロドロした音楽を聴いてますからモーツアルトは高貴に感じます。
第1楽章はメロディーは有名ですが、第3楽章もなかなか良いですね。
モーツアルトはシンプルさを良しとするか、水きよければ魚すまず。と捉えるか私は、まだ理解できていません。
いずれにしましても貴重なライヴ録音で聴かせていただき、ありがとうございます。
この20番では、ハスキル、ケンプがオリジナルを弾いています。ケンプは彼らしい作風でちょっと地味ですが、ハスキルのはきらめきがあって、なかなか良いものです。
ベートーヴェンのカデンツァが素晴らしいですし、作曲センスも問われますから、この曲に限ったことではなく、あえてオリジナルで弾くというピアニストはほとんどいないですね。それが賢明だと思います。
モーツアルトはやはり、楽譜の通りと言うのはつまらないと思っています。楽譜を元に、演奏者の幻想を加えて演奏して欲しいと思っています。
カデンツァが演奏者独自のものでなくなってしまったのは、作曲家と演奏家が別のものになってしまった弊害の1つでしょうね。でも、現在は多様化の時代ですから、演奏家は独自のカデンツア、できれば、それも即興で行ってくれれば、素晴らしいと思います。と行言っても、ベートーベン等は、自分の曲にカデンツアまで作曲していることもありますので、全部の協奏曲をそうすることはできないと思いますが。
バックハウスはベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番の第1楽章は独自のカデンツァを使っています。バックハウスもケンプも、作曲家・編曲家でもありましたからね。
演奏技術や解釈に対して要求されるものが、昔と違って高度になってきていますから、作曲能力のあるピアニストは別にして、自作カデンツァに労力をかけるひまがあれば、本来の演奏自体に集中するべきだと、ピアノを弾く人間からみれば思います。
なるほど、やはり、ピアノを弾かれる方と、私のようにただ聴くだけと言う者の違いなのでしょうね。